2008年11月27日

二つの厚別

厚別中学校のブログに『もうひとつの厚別中学校』という記事がありました。北野中学校の母体校である清田中学校が、かつて厚別(あしりべつ)中学校という校名だったことが話題になっています。

清田区民にとって、厚別川を「あしりべつがわ」と読むのが通例ですが、他区民にはほとんど知られていないことだと思います。厚別神社(もちろん「あしりべつじんじゃ」)をはじめ、清田区内には、「あしりべつ」がつくものがたくさんあります。しかし、地名としての「あしりべつ」は、清田区内から消えてしまいました。反対に現在厚別区内の住居表示に広く使われています。

清田区と厚別区のウェブサイトから歴史をたどっても、それぞれの区は、別の歴史をたどっていて、両方が同じ村にもなっていません。明治18年に厚別神社が創設されたので、そのころ清田区の中心部は、すでに厚別(あしりべつ)と呼ばれていたのでしょう。一方厚別区は、そのころは信濃と呼ばれていて、今でも信濃中学校や信濃神社などと、名称が残っていますが、明治27年に厚別駅が開業してから、その後に厚別(あつべつ)という名称が使われ始めています。そして、現在は区の名前にまでなりました。つまり、駅名が発祥のようです。

なぜ、厚別駅という駅名を採用したのかが鍵なのですが、厚別区のサイトをはじめ、ネットで調べた限りはわかりませんでした。考えられるのは、厚別川が流れているそばだったということでしょうか(信濃駅では長野県のほうと紛らわしい?)。そのときに「あしりべつ」というアイヌ語に近い読み方から「あつべつ」と漢字読みにした理由は?

詳しい方が見ていたら、ぜひコメントをお願いします。逆に厚別区民の常識かもしれませんが...。

ほかにも、本郷小学校が南郷通にあり、南郷小学校が本郷通にあり、本通小学校が平和通にあり、平和通小学校が本通にあったりします。こちらは、住所の境界線を決定する前に学校が設立されたからと聞いています。