2010年10月31日 (日)

[道でShot] 二つの厚別の謎

清田区外では、すでに存在しないことになっているアシリベツ川も、清田区内では今でも愛着のある川の名前です。しっかりと「あつべつがわ」とふりがな付きで看板が立っているのに、それでも清田区民はアシリベツ川と呼びます。
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そばを通る道路も「あつべつがわさがんどおり」。清田区を走る厚別滝野公園通や厚別中央通が厚別区の厚別を指すので、アシリベツ由来の道路名は今となっては大変貴重です。
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さて、タイトルの二つの厚別とは、厚別区の「アツベツ」と清田区の「アシリベツ」。

どちらの地名も、このアシリベツ川に由来するわけですが、厚別区の「アツベツ」は、厚別区役所のサイトを見ても、鉄道の駅に厚別駅と名付けたことから厚別という地名が広がったとあり、駅名を厚別駅とした理由は書いてありません。

厚別駅ができた当時は、すでに清田区の方は「アシリベツ」と呼ばれており、遠く離れて二つの厚別が存在したことになります。しかし、白石村と月寒村と違う村なので、問題はありません。

さかのぼること、明治6年(1873年)の『札幌郡西部図』を見ると、「アシリヘツフト」という地名(?)があります。「フト(太)」とは、「河口」という意味です。「アシリヘツフト」は、アシリベツ川が豊平川と合流する場所ということになります。
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この地図を見ると、白石村の東端、大谷地の北側で合流しています。(上側が南を差しています)
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Google Earthの地図をひっくりがえして、同じ部分を表示させると、現在の豊平川の流れとは大きく異なっていることがわかります。ちょうど、厚別駅のすぐ北側で豊平川とアシリベツ川が合流しています。
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つまり、厚別駅の付近は、明治の初めには「アシリヘツフト」と呼ばれていたということです。明治27年(1894年)に厚別駅が開業したとき、この付近は、信濃と呼ばれていたようですが、それでも厚別駅と名付けたということになります。その理由に「アシリヘツフト」が関係しているのかもしれません。

しかし、明治29年(1896年)に信濃尋常小学校、戦後の昭和22年(1947年)に白石村立信濃中学校と、厚別という名称を使わずに信濃という名称を使っています。開拓の歴史を思い起こさせる信濃という地名に愛着があったのでしょう。厚別とつく学校は、昭和58年(1983年)の厚別高校、昭和59年(1984年)の厚別中学校までなかったのです。

一方、清田区の「アシリベツ」は、昭和19年(1944年)まで地域の名称に使われ続けていました。明治時代に開校した小学校も厚別尋常小学校です。当然「アシリベツ」と読みます。

戦時中に、陸軍が難読地名を嫌って、豊平町議会が月寒を「ツキサップ」から「ツキサム」へ変えたという記録が残っていますが、翌年、アシリベツも清田・北野・真栄・平岡・里塚・有明に分けられました。どれもアイヌ語由来ではない、平易な地名であることから、陸軍の要請が関係しているのではないかと思います。

戦後、昭和23年(1948年)に清田中学校が開校するときは、豊平町立厚別中学校という名称でした。「あしりべつ」です。住所表記はすでに清田だったはずです。非常に愛着のある名称だったことが伺えます。白石村の信濃とよく似た現象です。

昭和36年(1961年)に豊平町が札幌市と合併しても、学校名は変えず、昭和47年(1972年)に札幌が政令指定都市になって、豊平区が誕生したときに、やっと厚別小学校が清田小学校へ、厚別中学校を清田中学校に変更しました。

厚別を「アシリベツ」と読むことにこだわったために地名は消えて、厚別を「アツベツ」と読み替えたことで生き残った地名と、対照的です。行政のつける地名と、地域の力が影響する学校名との関係も興味深いものがあります。

また、さりげなく掲載されている学校の沿革史ですが、ネット社会になった現代に、学校の歴史だけでなく、間接的に地域の歴史を伝える役割があることもおもしろいです。

現在、厚別区と隣接してもなお、同じ漢字を「アツベツ」と「アシリベツ」と使い分ける清田区民。厚別川を「アシリベツ川」と呼ぶことで、開拓の歴史を風化させない地域の願いが感じられます。

コメント(2)

>豊平区が誕生したときに、やっと厚別小学校が清田中学校へ、

→厚別小学校が清田小学校へ

ご指摘ありがとうございます。早速修正しました。

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